ストラマキャスター

wake up

「もし、このギターを失うようなことになったとしたら、すごく動揺すると思う (ジョー・ストラマー -1999-)」


「手択って言葉があるわ」
「聞いたことある」
「よく使われたりさわられたりした木が、つやつやに光ってくるようなことでしょ?」
「そう ここにはいっぱいあるね そういうのが
転じて死んだ人の愛用の品っていう意味もあるけど・・・」
(「ゆめのかよいじ」 (大野安之)より抜粋)


学校の階段のてすり、公園の鉄棒。それらは手択で艶やかである。考えてみれば、手択という出来事は長年の使用による磨耗である。磨り'減っている'のであるが、物語は'増えてゆく'。ものが磨り減れば磨り減るほど、ものに付き纏う想いは増殖するのである。鉄棒やてすりを磨り減らした当人達は、今はどこに行ってしまったのか? (沼田和也 -2003-)」


いまは、もう、弾き手のいないテレキャスター


そういったもの、想い、すべてをなかったことにするのが、原爆と戦争とヒステリー。


少なくとも、次のポップシーンまでは、地球が在りますように。