おしえて、chibinovaお兄ちゃん先生

bghs:というわけで、'ツンデレ'ってどう説明したらいいんですかね?

chibinova:妹さんにであれば、大映ドラマにおける松村雄基のことだよと説明してあげればいいんじゃないですかね。お兄さんになら伊藤かずえでしょう。

bghs:なるほど。ことあるたびに、海辺で荒波にむかいトランペットを吹く松村雄基。その姿こそが'ツンデレ'・・・ って、わかりにくいわっ。

chibinova:「風はひとりで吹いている」などとくちづさみながらツッパリどもをボコっていた川浜一のワルが、泣き虫先生の純情にほだされて、いっぱしのラガーマンになっていくんですよ。まさ'ツンデレ'。

bghs:それはつまり、'ツンデレ' = '更正'って捉えかたでいいんですか?

chibinova:ツンとデレの境目にあるもの、それは決して更正などではありません。言うなれば、そう、'鍋'。ひとつの鍋を突付きあうことで、そのぬくもりが凍った心を溶かすのです。

bghs:口調が若干ウザいですけど、ともかく、「ツン」が「デレ」になるか否かは、関わりしだいであると。

chibinova:そういうことになるでしょうか。コタツの中で泣き虫先生の足が脚にそっと触れる。かつてなら不快でしかなかったはずの状況に、とまどいながらも頬を染める川浜一のワル・・・ 萌え。

bghs:そろそろ松村雄基のヴィジョンから遠くはなれてしまいたいような気はしますが、たぶん「とまどいながらも」の部分が抜け落ちると'ツンデレ'は完成しないのだろうなとは想いますね。

chibinova:そういう不器用さとか照れだとかいったシチュにグッときていたのは、やっぱり女子のほうが圧倒的に早かったとおもうんですよ。みんなから恐れられている不良少年が、雨にうたれる捨て猫を拾っているところを目撃してしまい・・・ みたいな少女漫画の王道シチュを引くまでもなく。それがようやく男性の側まで伝わってきたときに、たまたま与えられた呼称が'ツンデレ'だったと。そういうことなんじゃないかなぁ。

bghs:じゃあ、松村雄基に'ツンデレ'をみる。つまり、男子に'ツンデレ'をみるのは、けしておかしなことではないってことですね。

chibinova:というか、むしろそちらが本道ではないかと。どこに書かれていたかは忘れたけれど、「最萌えのツンデレキャラは海原雄山だ」というコメントを読んで風呂から飛び出しそうになったことがあります。そういったキャラクターは庇護欲をかき立てるでしょう。そのあたりが母性本能とリンクする。だからかわいく見えるんじゃないかと。やおいにおける受けの原点でしょうね。もちろん男性にも庇護欲はあるのですが、若い子の場合はむしろ破壊欲や性衝動の強度がそれを上回るため、男性向きである'ツンデレ'ものには、せつなさを紡ぐ以上に、扇情的な描写が多いような気がします。

bghs:この場合の'男性向き'というのは、所謂「・・・おもらしじゃないもん」的な表現ということですね。たしかに、「ちょこッとsister」において、ゆりぴょんの目線を読者であるこちらに向けるか、ちょこにひらかれてゆくゆりぴょんのまなざしとして捉えるかで、'ツンデレ'の持つ意味合いもずいぶんと変わりますね。

chibinova:そうそう、ライターの岡崎純子さんという方が「男の人は状況で動いていくけれども、女の人は気持ちの連続で動いている」と言っておられるのを読んで、なるほど、と思ったことがあって。恋愛ものの少女漫画で印象的なシークエンスのひとつが「好きだという気持ちを相手に伝えることの重要さ」が恋する女の子のなかで繰り返し確認されることなんですが、少年漫画だと「言葉の不毛さ」が確認されたりする。「想いを言葉にすると半分になり、相手に伝わる言葉はまたその半分」みたいな。でもこのあたりのジェンダーに絡んだ話をしだすと'話を聞かない男、地図の読めない女'みたいになるんでやめておきますが。たとえば漫画の表紙とかにカップルが描かれているとする。そのふたりがお互いを見つめあっているのか、それとも読者のほうを向いているのかで印象が変わるということですね。

bghs:その表紙のカップルが互いを見つめあっていると、だれもさわれないふたりだけの国の物語として'美しい'。でも、こっちをむいているとき。あまつさえ「ここだよ」とか云いそうなとき、たいてい物語としては破綻しているであろうに、何故かオレは泣きそうになるんですよ! その'可愛い'歳月を暮らしたくなるんですよ! そんなこと無理に決まってるのに。しかも、絵に。

chibinova:呼ばれてるなって思ったことはあまりないんですけど、たまに「いまおれはこのふたりが夢見た世界を生きているのかもしれない」って思うことがありますよ。現在置かれている立場とか、自分が恵まれていることを自覚させられるとか、そういったものじゃなくて。うまく説明できないんだけれども、フィクションでありつつ何かが欠けている世界、それをリアルワールドに生きている自分が読むことで、物語として収斂していくようなかんじ、といえばいいのかな。蛙が水に飛び込み、大気は震動する。それが自分の鼓膜へ届いたとき、音へと変わるような。

bghs:だから、たぶん、東京で力石の葬儀がおこなわれたのとおなじように、マンガのなかでは、いつも僕らの葬儀がおこなわれているのかもしれませんね。

chibinova:ローラ・パーマーの葬儀ってのもありましたね。たぶんよく言われることなんだろうけど、物語ってのは自分たちを映す鏡なんでしょう。どういったものを偏愛しているかで、自分でもよくわからない己の性癖が赤裸々にあばかれる。だから'ツンデレ'という語彙は、それをたまたま自覚したひとが、便宜上そう命名したものであると。そういった語を多用して自分の性癖を喧伝するのは、まぁはしたない行為ではありますね。

bghs:かもね。フィクションってものに、わざわざ「ノン」ってまくらをつけにゃならん'事実'とやらがなんぼのもんじゃいってな話ですよ。あとは、主観でしかない目が、流れる水を純粋に海へと還したいっていう不純を綴ったり演奏したりが、ひとの限界なら、でも、そうするまでですね。つまりは「ツンデレとは、おんしゃと誰かの、おんしゃの世界の窓をひらく能動がもたらした関係の系やきに」と、いもうとちゃんにおしえてあげてみますよ。

chibinova:「誰もが純粋さを私に望むけど すり切れそうな空に持って行けるものなど 咲いてる花を折って自分のものにするような 罪深いものばかり」ではある。けれど「世界と自身とを交差させる 言葉伝えるためのチャンネル そしていつかは寂しさから両手広げ 錆つく世界を抱いて」生きていくってかんじですね。ただ、いま自分がもっているフレームの大きさは、そのまま自分の集中力や注意力のパラメーターでもあるわけで、年とともに尻すぼみになっていくのが無念このうえないですけども。しかしどこで'ツンデレ'なんて言葉を覚えてきたんだろう。「ツンデレ系やなぁジブン」とかなんとか言われたのかしらん。

bghs:うちのいもうとが'ツンデレ'ねぇ・・・ まぁ、オレさまによく似たかわいいやつではあるがな!

chibinova:(この期に及んで「ツン」を自己演出しだしたっぽい様子をボケと判別してよいものかどうか考えあぐねながらも、「井上喜久子、17才です」への突っ込みと同じ口調で)おいおい。


holy-m:ふたりともおつかれさまでした。(じんかくの)リセットボタンをおしたまま、(じんせいの)でんげんをきってください・・・