gabriel faure / sicilienne
ぼくが初めて曲を書いたのは中学生の頃だったのですが、きちんとひとつの楽曲になってはいなかった。通して聴ける、楽曲の体裁をかろうじて取れているものとしては、18、9才の頃に書いた「デラシネ」という曲が処女作、ということになるのだと思います。そしてその曲は、フォーレの「シシリエンヌ」から影響を受けまくっていた、というより、そのものと言ってもいいかもしれなかったですね。でも当時のぼくはそこまでフォーレを聴き込んでいたわけでもなく(やはりショパンやリストを最もよく聴いていたと思う)、なんだか「チム・チム・チェリー」っぽいフレーズなんかもごっちゃになったりはしていましたが。でも全体としての印象は、やはり「シシリエンヌ」としか言いようがなかった、そう思います。この曲とフランシス・レイ(白い恋人たち)、モリコーネ(特定不可能)、ロータ(ロミオとジュリエット)に出会っていなければ、今のぼくはあり得ないと言っていいと思います。
ぼくの美意識は、この頃からまったく変わっていません。なんだかんだと、山ほどの音楽を聴き散らかしてはきたけれども、「3つ子の魂なんとやら」で、結局こういった曲の持つイメージを彷佛とさせる音楽が好きになるんでしょう。進歩がない、とも言われそうですけど(笑)。でもね、人間ってそんなもんですよね。
claude debussy / deux arabesques in e major
ドビュッシー「二つのアラベスク ホ長調」です。ドビュッシーで一番好きな曲は、やはり「月の光」でしょうか。でも、この全然アラベスクらしくないアラベスクも小さい頃から大好きで、何度もくり返し聴きましたねぇ。全然どうでもいい話ですが、中学生の頃、いまgroovy dictionaryを一緒に作っている沼田氏とやはり一緒に作っていた壁新聞の名前が「ドピュッcー・タイムス」でした。照れ隠しで、大好きなドビュッシーをもじって無理矢理卑猥にしているところが、厨房らしい青臭さ満開で微笑ましいですね。内容ですか? 「皆殺しの雄叫びをあげ、戦いの犬を切って放て!」とか「造反有理」とか、しょうもないことを書いてました。
肝心の曲ですが、なんて言えばいいんでしょう・・・ ほんとに水の中を漂っている感じというか、シフォンを敷き詰めた上でうとうとしている感じというか・・・ ぼくが考える「優雅」という言葉は、まさにこの曲に体現されていると言っていいと思います。例えば仕事をサボって、どこか人気のない美術館かどこかに行ったりなんかして。偶然マリ子に出会ったりなんかしたら、絶対この曲が頭の中を流れるんじゃないかなー、なんて。
そういえば、ドビュッシーの娘のあだ名って、chouchouじゃなかったかな?
maurice ravel / pavane pour une infante defunte
ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」と並び評される「亡き王女のためのパヴァーヌ」、どちらもジャズ・ミュージシャンが取り上げたりもしているので、耳にされた方も多いかと思います。こちらもとにかく美しい、凄まじく凡庸で陳腐な表現をさせていただくならば、心が澄み切っていくような、それでいて微かな痛みを残してゆく音楽であるように感じます。薫り高い、という言い方も当てはまるでしょうね。この「亡き王女」ですが、実際の所、誰のことなのか、はっきりとはわかっていないそうですね。ぼくは勝手にランボォの詩とミレーの絵、そして身悶えするほど大好きなヒューズの絵なんかを連想しながら、勝手に「オフェーリアのためのパヴァーヌ」として聴いていますが(笑)。ちなみにラヴェルは57才の時に自動車事故にあい、5年間寝たきりの生活を送った末に亡くなったそうです・・・
ぼくは坂本龍一氏のヴォイシングの秘密は、実はこの辺が源流ではないかと考えているのですがいかがでしょう。「シェルタリング・スカイ」のサウンドトラックとか、もう反射的に「亡き王女のためのパヴァーヌ」を連想してしまったんですけれども。