『星の時計のliddell』 (内田善美)

we are floating in space

内田善美先生(以下、内田クン)の極初期の作品に"イブによせて"』(『星くず色の船 / 内田善美傑作集 1』に収録)という、まぁ、感動的な「いい話」があります。生まれつき病弱な少女「ノン」と、「ノン」を愛する少年「睦月(以下、ムー)」の恋物語であるわけですが、そこには(おそらくは、少年/少女漫画的に、「勝利」をテーマ、というか、読者専用自己投影用「売り」にする際に、必要不可欠(?)な)悲劇性が欠落していた! というか、読者が自己投影したいと思えるような「全能者」がいないわけで・・・

「ムー」は、ただひたすら、「ノン」の死を悟りながら、祈り、とてつもない無力感とともに、祈り、「ノン」が笑ってくれるのならば、なんだってやり、「ノン」のそばにいられるのならば、ただ、それだけで幸せなのだ、と、(云ってもないけど)云い切り、あげくのはてには、街で見つけた天使にすがり、泣きわめいて、すがる。一番大切な「ノン」ですら救えない自分を知りながら。

美しい音楽?――オマエの醜さ、ですら代わりに生きてくれる。


「誰よりも遠くに行っても ここから また 笑ってくれる? (o.s.t.'air' / 青空)」


「次に会うまでに もしも 僕が死ぬようなことがあったら・・・ そういうことって起こるから・・・ 君は天国の門の外で僕に会うって約束してくれる? (sonic boom / if i should die)


愛したひとの「つよさ」に、せめて「ムー」くらいには答えられるだろうか。

内田クンは、ウラジーミルという「無力」の象徴として、ヒューという、リデルのそばにいることを決めた「無力」のために、ここから、また、笑ってみせるコトを決めた。

だから、ボビー・ギレスピーは「太陽よりも高く」行けるってうたうコトに決めた!

ジェイソン・ピアースは「レディース・アンド・ジェントルメン」に、いつか崩れ行く塔の上で、それでも、神のそばにいるコトを誓った!

誓った!

君、死に給うことなかれ!


とかなんとか。