『でたとこプリンセス』 (奥田ひとし)

(漫画の画像が見つかりませんでした)

何もないことを何もないままに描く・・・

自分はそれまで、漫画に即物的な情感のみを求めていたのだが、何もないこと・・・ いや、物語は確かにあるし、世界観だってファンタジーそのものだし、非現実的極まりないのだが、何もないこと、それを核としたこの漫画は、ショックですらあった。

『でたとこプリンセス』にハマった数年後、おれは『To Heart』に脳髄をぶち抜かれることとなる。こちらも設定は非日常的過ぎるほどに過ぎる(だいたい出てくるキャラが、幼馴染み、ロボット、大富豪のお嬢様、バーリトゥードの達人、超能力少女 etc・・・)のだが、そこで描かれる日常には、戦慄すら覚えるほどに、何もない。

そこで初めて、おれは小津安二郎の凄みを思い知るのである。

それまでおれは、「来た、見た、知った!」と、知ったかぶりをしていたに過ぎない。劇場で、ただぼけ〜〜〜っと銀幕を眺めているだけでは、何も見ていないのと同じだ。そして、それは何も知ろうとしないのと同義だ。決して、「来た、見た、勝った!」カエサルにはなれないのである。断っておくが、おれは決して喜多商店のハッピを着たおっさんを揶揄しているわけではない。ウィークエンドのサイモンは言った。「週末は終わった。働くんだ」

我々は、決して意図的にマッチ売りの少女を殺すわけではない。しかし、だからこそ問いたい。

「生きている」ことと「死んではいない」ことが同じではないように、「殺してはいない」ことと「結果として死なせた」ことに、溝はあるのか?

溝の中の月は、紅い。

おれの手で。おれの手が。

手を下そうが下すまいが、おれたちの手は血にまみれている。